日本財団 図書館


 

ように生きよう。誰も同じなのだ」と自分に言い聞かせて生活しました。
幼稚部入園から卒業までの十三年間、小さいときから掲子は別れ際に涙を見せたことはありませんでした。思えば、あの子は一人っ子で、友だちもなく淋しかったのでは…。園の生活ではお姉さんやお友だちがたくさんいて、淋しいながらも楽しい生活ができたのだと思い、私の心は明るくなりました。
ろう学校の先生や園の先生、保母さん方、皆さまのお陰で十三年間の学校生活を終え、無事卒業することができました。様々な思い出が走馬灯のように浮かんできます。
やっと家に帰り、これで普通の家庭のように親子水入らずの生活ができると思ったのも、その当時の実感でした。
新たに四月から小郡の家政学園に入学しました。萩から小郡まで一時間四十分のバス通学です。長い年月通学し、それも終えて家で仕事をしていました。
「一度外に出て働いてみたい」と言い職業安定所に行きましたが、なかなか合う仕事が見つかりませんでしたが、スーパーのパン加工の仕事が見つかりました。早速、職安に問い合わせたところ、「聴覚障害の人は使ったことがないので、少し考えさせて下さい」と連絡がありました。
店長さんにお会いして、聴覚障害者のことや言語手話、言葉を口びるの形で読み取ることなどを、お話しました。殆ど、聴覚障害者の子とはわかっておられないようでした。掲子も何か話をしておりました。最後に、「明日から働いて下さい」と言われ、二人とも嬉しくそして少し

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION